社会学は宗教を込みと考えるのか

宗教を込みと考えるなら、宗教発生について考えなくてよくなる
ところが新興宗教発生というのは非常に社会的な事象である
社会学者が当該新興宗教についてさまざまな要素をとりあげて学問的集中砲火したとしても、本来宗教を込みとして考えているのが社会学だとしたら、付け足し、アペンド、課外活動のようなものになる
では、宗教学者新興宗教を批判分析したらいいかというと、宗教学者は既存宗教が専門であるからそううまくもいかないだろう
必然的に、新興宗教は批判分析が極めて難しいものとなる
よって、なんらかの暴力なり失策誘発によってお取り潰しにしたほうがいいということにはなるのだろう
ならば、オウム真理教が若干の動乱をはさみつつもお取り潰されたということが、非常に好ましいことだということにはなるのだろう
それは、思ったよりましだった鬼子ということになる