sack of monkey

やはり、アメリカ人は人間を袋にたとえてけなすことがある。
ずた袋、みたいに言うのである。
前にも考えたように、日本では人間を袋にたとえない。
そのくせ、どんなひどい扱いよりもひどいことを人間に出来てしまうのが日本人なのである(しかもそのことに無自覚であるふりまでできる)
それで考えたのだが、アメリカにおいては、人間賛歌というのが、たまにある。
ところが、日本では、人間賛歌は非常にまれであり、というか、ほとんどないのである。(性交賛歌くらいは、たまにあるが、それも人間賛歌とは言えない。もっと低次元の話である)
むしろ、人間を忌むべきものとして扱っている。
これは仏教的厭世観から来ているのかもしれぬ。
キリスト教徒の神に対しては、「よくも俺を生んでくれたな!」というと、怒られるので、反省することが可能となる。
ところが仏教徒が仏に対して、「よくも俺を生んでくれたな!」といっても、「少し待てば輪廻するよ」と言われるので、反省の機会がない。
仏教国では、おそらく、激怒や激情に対して、肩すかしを食らうことが多いのである。
そこで、人間に対する毀誉褒貶をやめて、なんとなく諦めるっていうスタンスになる。
諦めるということになると、袋にたとえるということを、しにくい。
袋は、実用品だから、たとえにくいのではないか。
少しまとまりに欠ける思考では、ある。