「中国では政治と道徳は不可分なんで、政治の世界はいわば人間の道徳的人格を完成させ、天に近づくための訓練の場なのです」という文章から考えると

メノンはまちがいじゃなくて、政治の現状をよく反映した考え方だったといえる
メノンは徳を鍛えることで政治で支配的立場に立てると思っていた
それは結果を念頭に置いた考えで、若者らしいいい考え方なはずだ
ところがソクラテスがそれがあやしいもんだと言ってそうでもないことを証明してみせた
じゃあそうでもないからなんなのかというと、ソクラテスはそれは証明できないというのであって、それは現実に遅れた思想と言われてもしょうがないのである
しかしなんで現実に遅れてはいけないのかという問題がある
イギリスなんかはたとえば、すごく現実が早かったのであって、議会政治などが現出したときにその現実を追認した思想がロックだと本で読んだ
ひとつは、現実に遅れると外国との競争に負けるという動機付けがあるのかもしれないな
危機感というものである
早く正しく動かないと先を越されたら損をするというのが、どこの国でも近代民法の基本原理になっているようである
ではその正しさは何が決めるかというと、立法によって決まるのであり、立法するのは国民なのだから、やっぱり国民が決めていたということになる
では各国の正しさには、国民の民度が反映されることになる