2012-09-22から1日間の記事一覧

『ダブリンの市民』で、人びとが何かをvulgarであると非難する場面が多い

それが、カトリックであることの誇りから来ているようだが、キリスト教者ではないこっちからみると、vulgarだと言える根拠がどこにあるかわからない むしろ、彼ら非難する人たちが、キリスト教のくくりの中で日々の信仰生活をただ繰り返すというところが、vu…

感受性の高さと信仰の篤さは両立するのか?

どうも、信仰の篤さが成り立つためには、感受性が低めで安定飛行でないとだめなような気がする いちいち激情に駆られる信仰者がありえるのか? 熱心党というのがあったらしいが、彼らの信仰もまともな信仰と思っていいのだろうか たとえば現代においてはイス…

学者

学者たちは よだれを垂らしながら間違いを見つけようとしているにちがいない しかし彼らのうちには 過去の正解を反芻するにとどまる者が多いのであるから 畏れすぎてもいかん ほどほどの敬意とほどほどの侮蔑 人付き合いのコツはこれであろう

ジョイスは今から見れば古典のように見えるが

1930年くらいの頃だと最先端なわけだ だから、堀辰雄や川端康成がジョイス文学を参考にしたといったら、手探り状態から参考にしたわけで、研究がある程度進んで学会の評価が固まってから参考にしたというのとはわけが違うと思ってよい

キリスト教の特徴の一つとしていつでも異端にしちゃえるということがある

聖書というものがあり、誰でも聖書を読んでいるのに、異端にしちゃえるということはどういうことか? 解釈が違えば異端になりうる しかし、聖書における解釈が一様ではないと言えるのはなぜか そういう議論がなぜ許されるかがわからない 聖書が文献学の対象…