2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

その分野を扱う人がわかっているというとき

そのわかっているというのが、わかってない大衆なり衆生なりを相手にわかっているといっている。 そういう専門性。 専門家はわかってない人がいないと困る。 で、どうなるかというと、専門性が先にあるんじゃなくてわかってない人が先に来るのかもしれない。…

誣(し)いる

※ありもしないことで悪くいうこと、、、誣説(ふせつ)、誣妄(ふもう)

りつのうた

栗山の中に 立人として 居りつずけるかぎり 慄然として 葎ぞよ葎よと惑うなり

土着性

土着性がぼくに 挑みかかってこないかぎり ぼくの文学はだめであり 土着の風花に むせび泣くようでなければ わたしの心は本質的には 動かされていないのだ わたしは うわべを学んだつぎは 根をおろさねばならぬ

近代東京の文学性

近代東京の文学性というのが 東京下町の文学性と 西の下町の文学性と 東の下町の文学性にはさまれて いわくのなさがきわだっている 近代東京の文学性がじつは 鎌倉文学だったりするのだ どこなのか 下町でない近代東京の文学性は それはいわば 都市文学なの…

わたしの永年のギモンが氷解した

わたしは服を着たくないのである。 精神的にはヌーディストなのである。

『雨の物語〜大台ケ原 日本一の大雨を撮る』をみた

環境映画祭の最終日。今日は大賞をとった作品だけ見た。 日本一すごい雨が降るという大台ヶ原の雨を撮るというドキュメンタリー番組。 半分国営の放送局の出品作。 雨粒が大きかった。1センチくらいだったかな? オオダイガハラサンショウウオがでてきた。…

『ミツバチのブルース』という映画

環境映画祭というのに行ってみた 『ミツバチのブルース』という映画でミツバチの大量死について扱われていた。 この映画はオーストラリアの映画だった。すこし雑なつくりだった。 ミツバチが激減したという世界的問題がある。それについての映画かと思いきや…

文学史ということ

有名な文学者の文学史の本を読めば、それに沿った解釈しかしなくなるおそれがある。 一通り文学に接するまでは、これはやめとこう。 今はまだ早すぎる。

大阪下町文学

織田作之助には才能を感じる。 路地に寄り添う文学である。 路地に関しての文学は多い方がいいと思う。 決定版がこれでほかはだめだ、というよりは。 本人は下町を歩きまわっているばかりで大学をよしたらしい。

「健全な未来」

こういうことばをみた。 未来に対して、健全な、という形容動詞がついている。 このことばをみたとき、鮮烈な違和感を感じた。 おそらく、健全な、ということばに非常な力を感じたためである。 健全な、ということばが主であって、未来は従であるという感じ…

安っぽい

安っぽい表現、という表現がある。 高っぽい表現、という表現はない。 ならばこのことばは使えない。

対置する表現がないと不安になるのはなぜか

日本的な二項対立の考えに影響を受けているのだろうか。 だけども、一個の独立した言語体系があるとして、あるひとつのことばそれぞれすべてにおいて対置することばがなければ未完成であり、 遅蒔きながらも至急完成に向けて対置することばを用意しなければ…

生き霊とはなにか?

霊というのが死んだから霊になるというのならわかるのだ。 ところが生き霊というのもあるのだ。 これはどういうことか。 恨みや憎しみが強いと生き霊になって相手のところに出てくるという気がするのだが、 たとえばだが、感謝や喜びが強いと生き霊となって…