脱価値化の問題 続続

脱価値化の問題は 正当性が確保されにくいということである 当該対象がどうしてやり玉にあげられたか 納得のいく説明は与えられにくい 個人的好き嫌いから 単に潰したくなっただけに周囲は思えるのである ならばといって脱価値化といっても個別のものに対し…

慰安婦誤報問題における問題

僕はこれについては 日本において頻繁に起こる 旧来の失敗モデルを過剰に再参照する ということがあるとおもう 慰安婦問題とは理想の対極にある失敗モデルであって しかもぎりぎりありえそうなリアリティも備えているのである すなわち兵隊でも性欲がたまる…

ポップさに国際性が必ず必要かどうか

倒錯というが

そこから倒錯したそこも倒錯していたらどうなるのだろう 二次倒錯ということになるのだろうか 倒錯とは嗜好における逸脱を表すと仮に定義するとして 嗜好は個人の自由を保証するという民主主義社会大原則からみれば 十分に許容されて良いものである とすれば…

脱価値化の問題

脱価値化の問題は陳腐なことにある あらゆる脱価値化が自明な経路を辿るのだ 脱価値化は未知のものでなくてはならない ところが脱価値化は既知のものを相手にする

日本武人による戦争における呪詛放棄

中国ではごく近世ごろになっても呪詛部隊が軍隊における大きな位置を占めていたようだ ところが日本ではそうはならなかった はやばやと呪詛を退けたのである 呪詛は戦の前に祖神を詣でることにとって変わられた 日本は歴史においてかなり早い段階から科学的…

武士は科学者であった

武士は科学者だったのである その科学はもっぱら殺傷ということに特化していたのではあるが ロシアも含む東アジアにおける科学がどういうものだったか包括的に考えなおしたほうがよい

呪詛部隊と皇帝

呪詛部隊というのが皇帝によって全国津々浦々から集められた精鋭部隊としたら 呪詛は国家的統一偽科学としての一形態だったと言える 日本武人は早くから当地に土着して中央たりえなかったから、ご当地呪詛者しか登用しえなかっただろう ご当地に霊泉があるか…

1920年前後における東京下町やくざとニューヨークギャングにおける類似性

およそ一世紀遅れて、ニューヨークギャングによってなされたことが東京下町やくざによってもなされたようである いまでもよくやくざが前時代的なことをしでかし、われわれ善良な市民があんな遅れたことをやっていると驚かされるが、なんのことはない、一世紀…

僕の漱石への不満点がはっきりした

僕はいつも漱石を読んで、しばしばあれっと思うのである それが今日原因がはっきりした 漱石の作品は、論理や筋において展開がすむーすにいきすぎているのである そこがどうも気に入らない 人間が人間ではない どこかあつらえたようなところがある 巧妙に隠…

漱石文学が以降の人間を規定したところはある

どう考えても、漱石文学に出てくる以上の人間が出てこないとだめなのに、それ以降漱石文学に出てくる以下の人間しか出てこないように規定されている 枷がはめられたというようにも思える おそらく漱石には自覚がない ところがそこにめざとく気づく人もいる …

漱石以外が駄目すぎたということもある

ひとりに負担がかかりすぎた

しばらくスウェーデン文学を研究しよう

ラーゲルレーヴやストリンドベリなど 80年代自然主義文学と、WW1までの流れと、WW1以降の流れ WW1以降はどうもスウェーデン文学は退潮してしまって、今日的な意味においてはほとんど立場がないように見える 懐古趣味から顧みられることはあるが・…

やはり日本の女流文学は弱い

SさんUさんがいるじゃないかと君らは言うかもしれない うーん・・・ 僕は彼女たちだけではまだ足りないと思う 他に知性派や哲学派がいないと駄目だと思う いま、知性のある女性なら官僚か弁護士にでもなるのだろうか 確かに女流はひどいことになりやすくは…

仮想自国

仮想自国を考えねばならぬ 仮想自国を考えられない人民は自国を仮想敵国と考えるようになるから

差別と日本嫌い

差別するから日本は嫌いだとはっきり言えばいいのだ そうすればもっともいやな目にあえる

ゆるキャラ

ゆるキャラはきぐるみであることに意味があって キャラクターによって地方民が人格を失うことに真価があるのである なぜその地を代表する偉人がご当地キャラクターたりえないのか 日本では個人がキャラクターになると困るからであろう 個人は引っ込むように…

日本ではちょっとでも偉くなると

すぐに運営運用を考えるように強いられる 運営運用とは自らたちの実利に関する問題であって 自由闊達な精神の働きとは無縁である おそらく偉くなればなるほど 精神からは遠ざかるよう強いられるのである 頭をやられてもいけないし 頭を使いすぎてもいけない …

ショックを受けた

なにかのボタンがかけちがえられていて 僕はどうやら引っ込むしかないようなのだが 引っ込み先がわからぬ これが引っ込み思案ということか

独立系の純朴な文学研究者が少なすぎる?

独立系といいながらも先行研究にすがって、すこしでも学者に近づきたいなあと思う人が多いのではないか それよりむしろ学者からの対蹠点になるようになったほうがいいのかもしれん 日本ではもっと文学に様々な角度から光が当たる必要がある 日本における文学…

文学研究というものが連綿と受け継がれるものであって

手でそうっとリレーしていかないといけないものだとしたら、研究はこわれものということになる どこから突かれてもびくともしないのが研究ではないのか? 少なくとも自然科学研究ではそうである

全身全霊を込めた読みとは何か

ふつう読む技術は洗練されていく 読めば読むほど読むことが上手になる 読むことが上手な人が全身全霊を込めて読む本は、難しい本のはずである ところが僕は、難しくもない本をあれこれ穿ったりひっくり返したり字の来歴を考えこんだりして必死に読むことがあ…

技術的拙劣さという問題があるいっぽうで

アールブリュというものもある 技術というものがある業界でのみ許されたものだとしたら、それは素人排除の論理である ところがこの現代社会にはどの業界からみても素人が99%以上を占めるのである 芸術はというと全員を相手にしなければならない 1%の人…

本をたくさん読むということ

それが猟色家にも思えるのである つまりは読みがすんなりいきすぎている 研究者ならそれでよいだろうが、芸術家がたくさん読んでいいものかどうか・・・ もっとも読まなすぎるのは最もダメである

うとうと

僕がうとうとしていると 君たちは僕を軽んじて 軽口を叩き 哄笑を返しているようだ 僕が偉大な人間かというとそうでもなく 僕はいま悩んでいるのであり 商品を生み出すかそれとも 宗教的なことがらのほうにゆくか 商品を生み出せば利害に巻き込まれ 宗教に至…

文学俳句

妻が美女そがゆえに死ぬプーシキン 啄木は孤独を性でごまかした キリストにすがりて泣きぬ禁治産 殴られて手が使えなくなるをんな

ウプサラ大学にもっと注目すべきである?

ストリンドベリとフーコー 二人の反逆児、異端の才能とまではいわないかもしれないが異才鬼才を一時擁していた 何らかの発想の転換がスウェーデンから生まれることがありえる スウェーデンというところがヨーロッパであってヨーロッパではないところがある …

スウェーデンに似ているところ

四国か? 多島海があるというところが似ている 四国には瀬戸内海がある

僕は贖罪を済ませないと何もできないと思う

いくらなんでも、ここからのんべんだらりとうまくやって出し抜くということは許されない しかしそうなると僕の脳裏には、beyond redemptionという文字が踊るのである それも買いかぶりすぎだ! 僕は救われえないほど重篤な病者ではなかろう

バルザックにしてもストリンドベリにしても

病的な乱筆多筆ということがある 彼らはたちどまって考えたりはしないのだろうか おそらく書いている内に問題提起がなされ書いている内にそれが発展して解決したりさらなる派生した問題が発見されたりするのであろう 彼らはおそらく行動派なのである じっと…