2013-01-01から1年間の記事一覧
ぼくはどうやらほぞを噛まされるレールに乗ったようである ここにいたってぼくは どのほぞが珍味か知りたくもなったのである
どうも 風土ということは 力学であって 文化とか 余儀とか そういうものではなく 断固とした儀礼であって それ自体禁忌でありながら行為命令でもあるようである それはひとことでいうと ぱとろないずである 人間に対してのぱとろないずである
ところが日本では形而上学が最終的にはものである
どうもまたぞろそりちゅーどに 見舞われたようである 人が僕から逃げ 僕は人から逃げる これは離人症というか 隠棲というか なんにしろ 充電期間であることはまちがいない しかし問題は なんのために充電するかである 華々しい文豪生活が なんになるのか ぼ…
どういう立て板か水が流れている間は見えない
異常に流動するものは本質がとらえがたい 法則を見つけたとしてもすでに変質しているかもしれないのである
欧米人は、数字を2つ使って説明することが多い 日本人は、数字は1つ使って残りは全部であることが多い 例:「一日で図書館の本を半分読むほど読むスピードが早い」 この場合、欧米人ならすごいなあと思うが、日本人なら中途半端でダメなやつだと思ってしま…
これは、風車を巨人と勘違いして戦いを挑んだのだが、 第三者的に見ると、インフラストラクチャを破壊しようとしたということになる ここになんらかの意味があるとみてよかろう
たとえば会社には従うべきやり方や作法があるし ご町内にはご町内のルールがある 恋愛にだって守るべきエチケットがあるのである それらのものが日本では道徳とことごとくリンクしていないという問題がある どこまでいってもそれらは郷の話である 欧米ならあ…
商品だからある程度までの基準を見てしていないと駄目であり では基準を満たしていればあとはどうでもいいのかというと あとはどうでもよくないと駄目なのである 商品としての性質を自覚しない商品こそ禁忌なのであり それは商品に対しての冒涜行為なのであ…
どうも 東洋の哲人が隠居隠棲をするのは 世俗権力から独立するためだけではなく 金から独立するためとも言いうる 西洋の哲学者は なんといっても金とずぶである ずぶの素人のようなふりをするものの 金とは縁を切れない ここから考えると どうやら金は西洋寄…
どうも西洋では 宗教というのは信仰を基礎に成り立っているが 宗教団体というのがアナアキズムには至り得ず かならずヒエラルキを持つ そうでないと国家に対抗できないからではあるのだろう 国家が金を採用したことに対抗して 宗教内で仮想通貨として信仰を…
西洋では 抽象概念が発達しているので 信仰を共有しつつ 信仰をレベル分けすることも可能である ところが日本は かならずしも抽象概念が発達していない よって信仰よりも信仰行為が重視されたと考えれば 念仏がどういうものだったか少しはわかる 念仏という…
どうも日本を考えると 完成を拒んできたという歴史がある 共産主義が日本にあてはめられると 何もかもぴったりいって 完成してしまいそうである そうなると瓦解するしかないのであり ではファシズムはどうかというと あれも最終的には 共産主義から遠いと見…
美術品の競売は 芸術への死刑執行である
どこをどうまかり間違えれば 芸術と現世の金が性交を始めるのか 僕にはとんとわからぬ おそらく なんらかの怪物が 芸術によからぬ変装を強いるのだろうが・・・
僕が僕の立場で文学を突き詰めようとしたら 死への分岐が多すぎるのである したがって僕は もう死んだものとして取り扱わられねばならないそうだ しかしそうなると 僕が能らしきものをパクったように思われるのである そうではなくて 偶然のコインシデントな…
キャットウォークを歩んでいたつもりが ぼくはいつのまにか もうるになっていたのである
「ある」で統一する 「ある」程度で判断する 大なり小なり「ある」ことは「ある」 「かもーない」の何が気に入らないかというと、懐疑しつつも肯定するからである これはあらゆる中間的搾取を可能にする思考形態なのである 懐疑なら徹底して懐疑しなければな…
「かも」、は必ず「ーない」、になだれこむのであって、 「かもーる」、にはならない かもによってカモられるのである 思惟におけるカモフラージュにおいて「かもーない」が用いられることが多いので、思惟そのものがすぐに立ちゆかなくなることがほとんどで…
ぼくは詩神をなだれ込ませて 詩の雨あられを降らすこともできようが それをやることでいのちは削られるのであり いまいち詩神をいぶかしんでもいるのである そこでいまは 小出しにするでもなく もったいぶるでもなく ただかき混ぜているのである スタアアッ…
葉山嘉樹の延長線上にあるものを考えないといけない 発展させたらどうなっていたか 目的のための手段としての文学は駄目だというのが通説だが 市場に出すための文学はどうなのだと思う 市場に出さないにしても 特殊市場に出しているわけだろうし どうにもこ…
市場の正しさっていうのは 現状の正しさであって 実存の正しさであって 市場は正しさの仲裁者であって ひとことでいえば 市場は全員の金を参加させているわけである
信頼を査定評価するのが市場なのであり どうしようもないのである 毒を体に回して慣れるしか助かる道はない あるいは特殊市場に逃げこむかである しかしおそろしいのは 文学は逃げ込めないところに行かないといけないのであり だったら死のほうがましなので…
女が男を非難することは日本人には受ける。しかし本質的非難は受けない。幼稚な非難だけが許容される。
ゆったりした中年の体躯を 用いるでもなし 棄てるでもなし
実は日本はむつかしいのかもしれん なぜなら 小さいところに色々たてこんでいたり あれやこれやの思惑が詰め込まれていたりするからである すっきり日本がわかったと思って膝を叩いた瞬間 死神の鎌が頸にぴったりついていると思ったほうがよい のかもしれない
黄泉の国はあるが いまいち死の神というとピンと来ない 死のことが不可知になっているのでは 死が原理上アポーリアになっているのかもしれん となると飛びつくのは生のほうであり 産まれる作用のところに比重がいってもおかしくはない
ぼくは亡霊の声にカジョールされそうになったが いまいち聞き取りにくかったので 意味を判ぜず かろうじてたすかったようである ところがたすかったとはいえ みじめな暮らしが立ちはだかっているのもまた確かであるので 次のカジョールに耳をすませたいので…
苦しみということを考えるときに 共感不能と伝達不能ということが不可欠の条件であるようにも思える つまりは 共感され伝達される苦しみは 飼いならされた商品性を持つ いきおい商売に関わった人びとは それを認めようとしないし 商品にケチを付けられたこと…