2014-01-01から1年間の記事一覧

文学研究というものが連綿と受け継がれるものであって

手でそうっとリレーしていかないといけないものだとしたら、研究はこわれものということになる どこから突かれてもびくともしないのが研究ではないのか? 少なくとも自然科学研究ではそうである

全身全霊を込めた読みとは何か

ふつう読む技術は洗練されていく 読めば読むほど読むことが上手になる 読むことが上手な人が全身全霊を込めて読む本は、難しい本のはずである ところが僕は、難しくもない本をあれこれ穿ったりひっくり返したり字の来歴を考えこんだりして必死に読むことがあ…

技術的拙劣さという問題があるいっぽうで

アールブリュというものもある 技術というものがある業界でのみ許されたものだとしたら、それは素人排除の論理である ところがこの現代社会にはどの業界からみても素人が99%以上を占めるのである 芸術はというと全員を相手にしなければならない 1%の人…

本をたくさん読むということ

それが猟色家にも思えるのである つまりは読みがすんなりいきすぎている 研究者ならそれでよいだろうが、芸術家がたくさん読んでいいものかどうか・・・ もっとも読まなすぎるのは最もダメである

うとうと

僕がうとうとしていると 君たちは僕を軽んじて 軽口を叩き 哄笑を返しているようだ 僕が偉大な人間かというとそうでもなく 僕はいま悩んでいるのであり 商品を生み出すかそれとも 宗教的なことがらのほうにゆくか 商品を生み出せば利害に巻き込まれ 宗教に至…

文学俳句

妻が美女そがゆえに死ぬプーシキン 啄木は孤独を性でごまかした キリストにすがりて泣きぬ禁治産 殴られて手が使えなくなるをんな

ウプサラ大学にもっと注目すべきである?

ストリンドベリとフーコー 二人の反逆児、異端の才能とまではいわないかもしれないが異才鬼才を一時擁していた 何らかの発想の転換がスウェーデンから生まれることがありえる スウェーデンというところがヨーロッパであってヨーロッパではないところがある …

スウェーデンに似ているところ

四国か? 多島海があるというところが似ている 四国には瀬戸内海がある

僕は贖罪を済ませないと何もできないと思う

いくらなんでも、ここからのんべんだらりとうまくやって出し抜くということは許されない しかしそうなると僕の脳裏には、beyond redemptionという文字が踊るのである それも買いかぶりすぎだ! 僕は救われえないほど重篤な病者ではなかろう

バルザックにしてもストリンドベリにしても

病的な乱筆多筆ということがある 彼らはたちどまって考えたりはしないのだろうか おそらく書いている内に問題提起がなされ書いている内にそれが発展して解決したりさらなる派生した問題が発見されたりするのであろう 彼らはおそらく行動派なのである じっと…

日本語はどうなっているのか

日本語が定立していて何の問題もなく書き連ねられるようになっているのだろうか? 少なくとも表面上はそうなっていることになっているが・・・

悪魔の群れ

目に見えない悪魔の群れが 僕の家に住んでいるのかもしれないのである かれらはときどき囁いてくるが 人語ではないのでなんと申しているのかよくわからぬ わからぬが恐ろしいような呪いの言である 僕はお題目を唱えたいが 所属宗教が不明なので 歯を鳴らすこ…

日本において何かをコントロールしたいという欲求をもったとき

必ずと言っていいほどそれは宦官的性質を帯びるようだ 無能力者が現在ないし潜在すると思えなくもない能力らしきものを抑えようとするという構図になってしまうようだ それはいつもひろい意味の貴族による怪物退治譚の様相を帯びるとも言える日本では太陽の…

日本の文学研究には暴論が多い?

ところがそれらがなぜ暴論と言われないのかというと、外国ではその手法で正論が導かれたからである では日本的手法で日本を研究したらどうなるかというと、魑魅魍魎が噴き出してきて大変なことになりそうである ということは、構造上生得の鎧をまとっている…

僕は怖いのである

なにもかも まがまがしさをもって 僕を出迎えるのである 花は恐ろしい臭気をまき散らし 光は太陽の高温を予感させて僕は茹で上がる気がする 地面は下におびただしい生物を抱えているという威力をもっていて僕はおどかされる ネルヴァルの絶望が 狂気が 僕に…

可能なことがら

可能だった悪しき行為に分類されるようなことがらを、あれこれ思い返して考えたが、実際にはやっていないということを、混濁した意識で朦朧としながらも抗弁する自分が、いやになったということ? この場合自分の混濁した意識がいやなのか、それともなしえた…

社会学は宗教を込みと考えるのか

宗教を込みと考えるなら、宗教発生について考えなくてよくなる ところが新興宗教発生というのは非常に社会的な事象である 社会学者が当該新興宗教についてさまざまな要素をとりあげて学問的集中砲火したとしても、本来宗教を込みとして考えているのが社会学…

地方文学とは何か?

世界における地方文学というと、僕はアメリカ南部文学くらいしか思い浮かばないのである イギリス田園文学?というようなものは、地方文学というより田園文学なのである 広い意味で自然主義文学というのも、地方というくくりを通り越して自然という串を通し…

たとえばアルゼンチン文学というと

アルゼンチン文学というとそれだけで地方文学たりえる 国家間の序列からいってそうなるのである 支配的国家になりえないということから、世界は寛容な地方を見る目でかれらの文学を見ることになる 日本の位置づけはむずかしい 新奇さを見せればいいのか、伝…

身体障害者を用いて物語に強度を出す

「パラーシカという肥っちょの痘痕づらの洗濯娘と、アクーリカという片眼の牛飼い女とが、或る日のこと申し合わせて、手に手をとって母の足もとに跪き、飛んだことをしましたと詫び入りながら、彼女たちの初心につけ込んで誘惑した先生モッスーのことを、泣…

なんで障害者が昔の文学作品にしばしば出てくるか?

おそらく、一般の人間は一生かかっても障害者を見ることがなかったからであろう お金に余裕がない村や町では障害者はすぐ間引かれるだろうし 障害者を見るためには見世物小屋にでも行くしかなく、誰にとってもはじめて見る障害者は衝撃をもたらすものだった…

官能の海

僕の官能の海には ごつごつした岩があり 暗礁にのりあげては 苦しみのあなぼこが船に空くのである 僕はどうやら 恋愛において拙者であり 彼女たちは巧者とはいかぬまでも ぶきっちょではないのであり 世にある性交への道を 軽く渡れる者たちである 僕にはそ…

都会について

体臭も大気も何も混ざる昼 声の波足の波間にだんごむし 街路樹に虫もなかなかいない春 春になりまた大群が押しよせる 大群と入れ替わり去るふるきもの にらむめは多忙の先か失望か 看板は朽ちかけてなおあらわせり 自信家が上は見ないで下を見る 僕が踏む前…

全体小説

いわゆるホリスティックな態度からくる小説と考えて良いのか? そのホリスティックというのが、部分の自立を理解するのかそれとも、全体を構造把握するのか。 バルザックの小説は全体小説というのはまちがいなかろう。 これは構造からせりあがるものを明らか…

全体小説を可能にするための串

野間宏がやったことは、差別による世界理解なのであり、それはひとつの全体小説実現のための串なのだが、じゃあその差別が正しく認識されているかというと、それも怪しい 奇妙奇天烈複雑怪奇なのが差別なのである 作家がはっきりわかったと言った時にはもう…

読者を大食らいと考えるか少食と考えるか

いわゆるグラトニイの問題がある 読者というものが食らいつく性悪なものたちと考えれば、あまり与えすぎてはいけない だが問題は与える与えないという立場自体であり、そこは役割がわかれているからそうなっているのだが、ではいつからわかれたのかというこ…

能楽の成功の鍵は過去の文学上のキートピックをさらったところにある?

いわゆる総合をやったのである この総合は学術的ではなくむしろ職人的総合であろう こういうことがありましたよねご存じですよね、という凄みがあるのである 学者は素人にご存知かどうか聞いたりはしない ひとつの権威主義ではある なぜなら完全に創作すると…

要素のひとつによって世界が崩壊するかどうかということ

要素がひとつ偶然にも破壊力を持つかということである 現実上では放射性物質というものは内なる破壊力を秘めていたりするらしい 日本語においてはどうか 僕はすべて等価で平等だと思っている なぜ日本語においてののしり言葉が発達しないかというと、50音…

日本語単独では破壊力を持ち得ないから

だから外国文学なり外国語精神を導入してかろうじて破壊力を持ち得たとも言いうる 日本語単独はどうにも小説ができないのである 小説を実現させるための基礎がないのである

全体に対する理解

これが全体か、これで全体か どちらもできないとだめであろう 目を細めながら目を開かなければいけない 人間にはどうしても要素主義が楽であろう ホリズムというのが神様的な理解である ギリシャにおける哲人が理想とした理解形式なのであろう